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幕末の志士たちに学ぶ。男とは!

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[坂本龍馬] ブログ村キーワード
坂本龍馬 さり気ない一言

『なんぞ徒らに憤慨するや』

1860年(安政7年)大老 井伊直弼が桜田門外で討たれた。
この報を聞いた坂本龍馬はどのような反応をしたのだろうか。

桜田門外の変が起こる2年前。
井伊のもとで安政の大獄が激化していた。
井伊の意志にそぐわない者は左遷されたり、蟄居させられたりしていた。
また、吉田松陰橋本左内などの攘夷論者は捕縛されはじめていた。
この井伊の暴挙に水戸藩士たちは立ち上がったのだ。

1858年(安政5年)水戸藩士の住谷寅之助大胡聿蔵の両名が土佐にやってきた。
この二人は諸国を廻り井伊大老打倒の遊説をしているのだ。

しかし、入国の許可書を持っていない住谷と大胡は国境の立川の関で足止めされた。
困った二人は、面識は無かったが、江戸において千葉道場の塾頭になった龍馬の存在を知っていたので、龍馬に手紙を書き入国の斡旋を依頼した。
手紙を受け取った龍馬は立川の関まで出向き住谷、大胡に会った。
ふたりは龍馬に井伊の暴挙を語り、現状の打破を訴えた。
だが、この時の龍馬ははかばかしい反応を示さなかった。失望した住谷と大胡は土佐を去る。
住谷は自信の日記でこの時のことをこう記している。
「龍馬誠実、かなりの人物、併せて撃剣家。事情迂闊、何も知らずとぞ」としている。

この時の龍馬はまだ時勢を語るまでにはなっていなかったのだ。
しかし、この住谷・大胡の訪問は龍馬に刺激を与えた。
龍馬は「大日本史」「史記」「資治通鑑」等を読みあさった。そして土佐城下にある蘭学塾にも通い、徳弘孝蔵という西洋流砲術家について砲術の勉強もし始めたのだ。
こうして龍馬が学問に励んでいると安政の大獄はさらに激化し、そして1860年(安政7年)桜田門外の変が起こったのだ。

江戸のこの知らせを聞いた龍馬達は興奮状態になったそうだ。
そして龍馬は皆を前にこう応えたという。
「諸君、なんぞ徒らに憤慨するや。是れ臣子の分を尽くせるのみ。我輩、他日事に当たる。また此の如きを期せん」

諸君いたずらに慷慨してもはじまらない。水戸の浪士たちがこの挙に出たのは臣子としての分を尽くしたまでだ。
私も他日、事に当たる時は彼らと同じように決然と振舞いたい。
こう冷静に龍馬は話したと言うのだ。

冷静な中にも意志の固い龍馬の気概が窺うことができる。

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