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幕末の志士たちに学ぶ。男とは!

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[坂本龍馬] ブログ村キーワード
坂本龍馬 さり気ない一言

『人というものは』


坂本龍馬が脱藩した頃は多くの志士は京都に集まっていた。
それは薩摩の島津久光が兵を率いて上京すると言う情報があり、全国の攘夷志士たちが攘夷倒幕の挙兵かと勇み立ったからである。
しかし龍馬は京都とは逆の九州に向かい、河田小龍から聞いた薩摩の反射高炉や、長崎の異国文化を見にいったのである。
そのころ土佐では武市瑞山が、この島津久光の上京に遅れてはならじと焦っていた。
焦った武市は土佐の重鎮 吉田東洋の暗殺に踏み切るのだ。

吉田東洋は定期的に藩主に頼山陽の「日本外史」の講義をしていた。
その日も「信長記」の本能寺のくだりを講義した。藩主は大いに喜び講義が終わってから酒が振舞われた。
東洋は快く酔い、家路についたのは午後10時を過ぎていた。
折からの雨でほろ酔い気分で傘を差しながら歩く東洋。両側には後藤象二郎福岡籐次がいたが、東洋の自宅が近いことから途中で別れ、東洋は供の若者一人となった。
雨で人もいなく、真っ暗な闇の中、東洋目掛けて3人の刺客が斬りつけてきた。
雨傘のおかげで最初の一撃はかすり傷程度ですんだ。東洋はもともと剣の腕は確かでだった。雨の中、刺客との切り結びがはじまる。
しかし、いかに東洋が剣の腕が立とうが3対1である。
遂に東洋は刺客の手に落ちた。

この時の刺客が那須真吾大石団蔵安岡嘉助の三人だった。
その後土佐では東洋殺しの犯人探しが始まったが、その時にはすでに那須たち3人は脱藩しており行方は知れずの状態だった。
そのため、東洋暗殺の半月前に脱藩していた龍馬に嫌疑がかっかたのだ。
当たり前と言えば当たり前の結果であろう。
だって、暗殺の半月前に脱藩していれば誰が見ても怪しいに決まっている。

しかし、龍馬はみなさんもご存知のように無実だ。
龍馬は終生人を殺めたことがない。
龍馬が姉 乙女に出した手紙にこんな一文がある。

「人というものは短期してめったに死ぬものでなし。また人を殺すものでもなし」

人というものは短期などをおこして滅多なことで死んではならない。
また、安易な考えでみだりに人を殺してもいけない。と送っている。

龍馬の生命に関する慈悲深さと、命の重みを感じる言葉である。
このような考えだったからこそ、大胆な行動も出来、臆する事無く行動できたのだろうか。
人としての重みがあったのかもしれない。

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