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幕末の志士たちに学ぶ。男とは!

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吉田松陰の恋人といわれる高須久子

高須久子の歌が刻まれた茶わんが残っている。

茶碗には松陰への熱い想いがあふれ、末尾に「久子 六十九才」とありことから、松陰の死から27年後に作られたものだろう。

茶わんは、松陰の教え子で、後に長崎造船所の初代所長などを務めた萩藩士・渡邊蒿蔵の遺品の中にあった。
松陰の教え子だった渡邊と松陰の恋人だったといわれる久子との間に交流があったとみられる。
 口径12・5センチ、高さ4・7センチ。ろくろは使わず、手びねりで作られたらしい。
裏面に「木のめつむ そてニおちくる 一聲ニ よをうち山の 本とゝき須(ホトトギス)かも」の歌が、くぎのようなもので彫られている。

「木の芽を摘んでいると、樹上からホトトギスの一声が聞こえてきた。その声をきくと、松陰先生のことが思い出される」という意味。
「一聲」とは、松陰が安政の大獄の影響を受けて江戸送りになる最後の別れの時に、久子へ贈った発句「一声をいかで忘れんほとゝきす」の「一声」を指し、「よをうち」には「世を撃ち」の意味が込められているという。

激動の幕末にあって、松陰の発言と行動はまさに「世を撃つ」もので松陰なくして、あの激烈な討幕運動は考えられない。

2人が野山獄で出会ったのは松陰が25歳、久子が37歳のとき。
松陰は米艦での密航に失敗し、久子は当時としては開明的性格で、社会に適さない人物として、牢に入れられていた。
2人は獄中で歌を通して、ほのかな恋心を抱いていたとみられる。

実際に恋人かどうかは別として、吉田松陰の獄中でも誰彼問わず学を説く精神はすごい。
草莽崛起。松陰のこの精神がそうさせているのだろうか。

久子は69歳になっても、なお松陰の生き方に尊敬の念を抱き、燃え尽きぬ想いをこの茶わんに託したのだろう。
でなければ、松陰の死後27年経ってから茶碗に詩など残さないであろうから。




吉田松陰一日一言―魂を鼓舞する感奮語録吉田松陰一日一言―魂を鼓舞する感奮語録
(2006/12)
川口 雅昭

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