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幕末の志士たちに学ぶ。男とは!

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幕末の話で多くの志士はもちろんだが、切っても切れないのが新撰組の存在である。

新撰組が出来る経緯は次のようなものであった。
1853年(嘉永5年)浦賀にペリーが来航は日本に大きな激震をあたえた。
諸国で日本の今後を考えた運動が活発になり、やがてそれは攘夷運動に繋がり、多くの人々は、見たことのない外国人に恐怖し、また嫌悪感を抱いた。
激しくなる攘夷運動、諸外国からの開国要求で進退窮まった幕府は公武合体で権威を回復しようと、皇女和宮を第14代将軍 徳川家茂に降嫁させたのだ。

そして1年後、この返礼をしに将軍 家茂が上洛することになるのだが、当時の京都は治安が悪く、脱藩浪士や、攘夷の志士たちが蠢いていた。
そんな中、将軍警護に「浪士組」を結成し、京都に派遣しようと言う案が上がった。
提案者は松平主税介。剣術師範である。
この案を受け入れたのは松平春嶽であった。しかし裏は、松平主税介に入れ知恵したのは、山岡鉄舟であり、山岡に頼みこんだのは清河八郎だったのだ。

清川と山岡は「虎尾の会」という攘夷グループのメンバーであり、二人は集まった浪士たちをそっくりそのまま攘夷の志士に変貌させようとしていたのだ。

この話を聞いた永倉新八山南敬助が試衛館の面々に話をし、近藤勇等が賛成し、試衛館の面々は喜び勇んで応募をしたという。
このおいしい話に飛びつかない者はいない。なぜならば名を挙げる絶好の機会であり、支度金までも貰えるのだから。
予定では50人だったのが、実際に集まったのは300人を超した。
事態が収拾できなくなった松平主税介は辞任、変わりに鵜殿鳩翁が後任となり受け継いだ。

最終的には240人の「浪士組」となり、7隊に分かれて京都に向けて出発することになったのである。


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