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幕末の志士たちに学ぶ。男とは!

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1863年(文久3年)2月8日、浪士組は江戸を出発した。
15日をかけて中山道を上り、23日には京都に着いた。

この隊列の中に近藤勇らがいる。
佐藤道場からは8名の人間が出ており、3番隊に井上源三郎佐藤房次郎沖田林太郎などだ。
6番隊には試衛館の面々がおり、土方歳三沖田総士山南敬助藤堂平助永倉新八などがいた。

その試衛館一派の中に浪士組では目立つ存在の者たちがいた。
それが水戸天狗党の一派である。
もともとが攘夷の志士に変貌するための組織であったので、そういった志士が多く紛れていたのだろう。

その水戸天狗党一派は、芹沢鴨新見錦平山五郎平間重助野口健司である。
おかしなもので、攘夷の志士と将軍警護を真剣に考える試衛館の面々が同じ浪士組として旅をしているのである。

試衛館の面々も十分に浮いた存在だったようだが、芹沢らも十分浮いていたようで皆に警戒されていたようだ。

そんな芹沢と近藤勇がひと悶着あるのだ。
選考して浪士組の多度の手配をする役になっていた近藤勇。
本庄宿に来た時のことである。近藤は芹沢の宿所手配を忘れてしまったのである。
当然ながらわざとではないので、近藤はひたすら謝ったのだが、芹沢の怒りは収まらず、芹沢は羽目板をはずして宿場のど真ん中で焚き火を始めてしまうのだ。
こういった話はすぐに伝播する。

本庄宿を一端とし、芹沢の粗暴はひどくなり、耐えられなくなった山岡鉄舟は辞任してしまし、近藤・芹沢の問題は相変わらずだしと、ゴチャゴチャと続いていた。
問題は、試衛館一派と、水戸天狗党一派、そして清河八郎一派の間でおきており、そんなこんなで京都に向かっていったのだ。



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