幕末の志士たちに学ぶ。男とは!

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勝海舟が創設した神戸海軍操練所は、幕臣たちが学ぶ場所であったが、勝は隣接した場所に諸藩の志士を集めた「神戸海軍塾」を設ける。
その塾頭となるのが坂本龍馬
この間、龍馬は、海軍塾設立資金の調達のために越前福井藩主松平春嶽を訪ねるなど、勝海舟の手足となって働くのである。
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 しかしその後、八月十八日の政変で失脚した長州藩が京都へ進攻した禁門の変の責を問われて勝は軍艦奉行を罷免される。さらに土佐脱藩浪士や長州に同情的な意見を持つ生徒が多かったこの操練所は、幕府の機関でありながら反幕府的な色合いが濃いとして翌年1865年に閉鎖された。

当然ながら倒幕勤王の志士を海舟が育成しているとの噂が広がり、海舟更迭という事態にまでなっていく。

この「神戸海軍塾」の塾生の中に北添佶摩望月亀弥太という土佐脱藩者がいた。
坂本龍馬の制止を振り切り池田屋事件に関与した二人。

結局惨殺されるのだが、この二人が池田屋にいたことが勝の更迭、および「神戸海軍塾」の閉校につながったとされている。

勝海舟を語るに切っては切り落とせない存在の坂本龍馬
龍馬は、海舟に仕えていたのがとてもうれしかったらしく、故郷の姉にあてて、「おれは今、勝海舟と言う日本第一の人物の弟子となって働いている」との手紙を再三にわたって送っています。

龍馬は勝の愛弟子であり、いわば行動部隊でした。
勝は自らの身分と立場で自由に出来ないことを、龍馬を通して実現させていきます。
開国主義も薩長土同盟も、すべて勝の理想であり、もとより薩長同盟が成功したのも、勝が龍馬に西郷を紹介したのが始まりでだったのです。

この神戸の地において勝はもう一人、歴史を大きく動かす男に会う。

それが西郷隆盛である。
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